「高校野球と栄光」は、それぞれ自分の栄光

高校野球


高校野球は創設100回を迎えます。
100回目を迎えれば、その中には、色々なドラマがあったと思います。
皆が高校野球に魅かれるのは、彼らが無欲の野球をするからでしょう。
そして劇的な延長戦などが人々の感動を呼び永く人々の記憶に残ります。

「高校野球と栄光」

私は、高校野球の栄光は勝ったから栄光があるとは思いませんし、何回も優勝している強豪校が栄光という称号を持っているとは限らないと思っています。
私は、高校野球が好きですが、熱狂的なファンという訳ではありません。
でも、昔の熱戦や試合は覚えていますし、私が産れる前の試合も知っています。
やはり、それは、皆が覚えていて語り継がれていったものだからでしょう。

「栄光の試合」

記録に残る試合より記憶に残る試合

という言葉は、よく聞きますね。
私は、これが高校野球の栄光だと思っています。
それは一人一人の大切な心の中の栄光です。

1969年夏決勝「松山商業 vs 三沢」

その中で、あえて挙げさせてもらえば、昭和の名勝負とも言われている、1969年夏決勝「松山商業対三沢」の対決。
史上初、決勝戦での延長18回引き分けです。
制球の井上と速球の太田の壮絶ともいえる投げ合いでゼロ行進です。
みちのくの夢にもっとも近づいた運命の15回、奇跡の25球。
翌日の再試合も一人で投げ抜いた三沢の太田は悲劇のヒーローと言われました。

1992年第74回2回戦の明徳義塾(高知) vs 星陵(石川)戦

次は、これは事件とまで言われました。
1992年第74回2回戦の明徳義塾(高知)対星陵(石川)戦です。
明徳義塾が、星陵の4番打者・松井秀喜を5打席連続して敬遠する作戦を敢行しました。
そのため一度も松井はバットを振らせてもらえないまま星陵が負けました。

これは、ランナーなしでもランナー1塁でも敬遠という執念さえ感じる徹底した作戦だと感じます。
皆さんも、ご存じでしょうが、松井は「ゴジラ」の愛称で親しまれ、誰でも認める「超高校級」といわれた強打者です。
卒業後、巨人に入団し後に大リーグに移籍しました。

明徳義塾の監督は試合後「(星陵高校の練習を見て)高校生の中に一人だけプロの選手が混じっていた」とコメントしていました。
超ド級の甲子園のスター選手と一度も勝負せず、一球もバットを振らせないまま甲子園を去らせたことで監督と選手たちは痛烈なバッシングを受けることになりました。
勝った明徳義塾の校歌の時には、球場中からブーイングや「帰れ」コールが起こり校歌が、まったく聞こえませんでした。
この事件は世論までも二分しましたが、圧倒的に松井を擁護、星陵に同情する声が多かった中、「高校野球の目的は勝利。プロのように魅せるプレーが目的でないのだから、当然の作戦」という視点から監督やチームを擁護する声も少なからずありました。

私も、この試合は見ていて、その時は「姑息な作戦をとる監督だ」と思いました。
それよりも、そういう作戦をしてでも勝った明徳義塾の選手たちの心には何が残ったでしょう。
スポーツで負けて「悔しいけど悔いはない。やりきった」という声を聞きます。
もちろんアマとプロでは違うでしょうが。
心の中に「やりきった」という栄光は残ったでしょうか。

2002年に明徳義塾高校が甲子園初優勝した時に松井選手が「事件」を振り返りました。

「今ではいい思い出です。負けたことは悔しいが5打席連続敬遠は打者としての誇りです」

松井選手には高校野球が心の中に栄光として残っていました。

「まとめ」

以上のように、誰にでも、高校野球に参加した選手、補欠も含めて、それから、予選に出た全員が、心の中に栄光という思い出を持っていると思います。
その中には、ほろ苦い思い出もあるでしょう。
でも、それは他人にはわからない大切な栄光です。

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